聴くという姿勢 2017.3.8


僕の幼少期を客観的に見ると2つの時代に分けられます
それが小学5年生に体験した引っ越しの前と後
そして引っ越し後、一番僕が意識していたのは”周りの目”でした
当時世間的には学校でのいじめ問題が大きく取りざたされていました(僕の目にはそう映っていました)
ドラマを見ていてもどこかしらにいじめのシーンがあったように思います
転校先がどんなところなのか、どんな人がいるのか
引っ越しまでのカウントダウンの日々はなかなか寝つけず、ずっと天井の暗闇を見つめながら「転校したらいじめられる」と思っていました
いざ転校して、少しずつ話せる友人も増えていきました
けれど、自分の気持ちを言うことはほとんどなく、「嫌われない友人」という役を演じているようでした
目立たないように、とにかく普通に、ミスは致命傷、楽しんで我を忘れちゃいけない
ただ副次的に良い効果をもたらしたものもありました
それが宿題と給食
昔の僕は宿題はあまり提出期限を守らず、好き嫌いが多くて給食をほとんど残していました
けれどそれだと目をつけられると思った僕は、宿題も真面目にし、給食も残さず食べるようになりました
そのおかげか同級生からいじめられるということはありませんでしたが、その油断は別の形で歪みを生み、僕は下級生からずっと陰口を言われました
陰口にとどまらないのもあったので、日向口?それともただの悪口?でしょうか(笑)
今考えれば、あの時の悩みはこうできるなぁとか
あの時もっと自然体で居られるにはこうすればいい、とか思いつくので小さいことに悩んでたなぁって思います
けれど解決策の見えない悩みや葛藤に頭を抱えている子供の僕には大きな大きな悩みでした
きっと子供って大人が思う以上に色々考えてるし、色々気を使ってるし、自分のキャパシティの中で悩みと闘ってるんですよね
そんな自分にとっての大きな悩みだから、「そんな小さなことなんて」「こうすれば簡単よ」と言う大人に対して不信感や反感を抱いてしまうのかもしれません
悩みの大きさは人それぞれ
年齢や立場によっても見え方が全然変わってきます
それは大人同士も同じです
まずは主観ではなくフラットに”聴く”という姿勢
それを意識するだけで、相手の話やすさ、素直な表現に影響してくるものです
「あいつの痛みはあいつのもの 分けてもらう手段がわからない だけど力になりたがるこいつの痛みもこいつのもの」
真っ赤な空を見ただろうか/BUMP OF CHICKEN
最後まで読んでいただきありがとうございます

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です