参禅修行を振り返って 終    2016.4.17

長々と参禅に関してブログに書きました
読んでくださった方、ありがとうございます
これまでは1日ごとのスケジュールに沿って書きましたが、最終回は4日間を過ごして感じたことを書きます
もちろん読んでいただきたいですし、僕の感じた気づきや考えが読んだ方の何かの役に立てれば万々歳です
そして僕自身が忘れないための備忘録でもあります
僕がこの体験で得た気づきは大きく3つありました
一つは「客観視」
坐禅中はとにかく足が痛いです
足をかばうとお尻、腰とどんどん痛む箇所が増えていきます
なので結果的に背筋を伸ばし正しい姿勢をとるのが辛いし痛いけど、一番マシなんです
そして坐禅中、痛みに気付くとどんどん痛くなって集中できず
「痛い、早く終わってくれ」と心の中で叫び続けます
これは講話の中でおっしゃっていたことですが、痛くなってきたら
「あっここが痛いんだな、ここが痺れてきてるんだな」と少し客観的に自分の体を観察します
すると今まで我慢できないような痛みが少しマシになって心が落ち着いてくるんです
呼吸も同じく無理にコントロールするのではなく自然な呼吸、自分が楽な呼吸を観察しどの呼吸の時に1番集中しやすいのか探るんだそうです
この一歩引いて自分を観察するのは自分を見つめ知っていく上でとても重要なスキルの一つではないかと思います
特にネガティブな感情
悲しい、辛い、しんどい、泣きたい、どうしていいかわからないなどなど
感情に振り回されるのは基本ネガティブな時です
その時一歩引いて「今悲しいんだな、今泣きたいんだな」って見ることでその感情を受容するきっかけになるし、嵐のように暴れまわっていた感情を落ち着かせることにもなります
二つ目は「行動、実践」
坐禅の心に文字だけでなく、その文字・言葉の本質を知り学ぶというのがあります
「坐禅」という言葉や作法をいくら知っていようとそれを実際やって体感しないと意味がないというものです
「桜」という木を知っているだけでなく、実際に見てその美しさ、優美さ、儚さ、そういったものを感じる
頭でっかちでなく自らの体で心で知ることの大切さです
また仏道の「道」という言葉には「常に行動、実践していく」という意味も込められているそうです
いわゆる動いてナンボってやつですね
三つ目は「感謝」
四日目最後の坐禅中に雲水の方が話してくれました
道元禅師の言葉に
「仏道をならふといふは、自己をならふなり
自己をならふといふは、自己をわするるなり
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり
万法に証せらるるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり」
というのがあります
簡単に訳すと
「仏道修行をし自分を見つめるとどれだけ「自分が、自分が」となっていたかに気付く
そしてどれだけ自分が多くのものに生かされていたのかを知る
自分やその他の垣根を取り払い全ては一つであるという境地に至る」
最後の部分がいわゆる「悟り」と呼ばれるものかなぁと思いながらまだまだ完全理解には至らない僕ですが、注目して欲しいのは前半の部分です
人間一人では生きていけません
住んでる家も服も食べ物も誰かが建てたり作ったり、育てた人、運んだ人、陳列した人、販売した人、あらゆる人たちの関わりの中で僕らは生きています
この言葉には人だけでなくあらゆる自然も含まれているそうです
そう考えると宇宙規模でのありがとうってことになります
以上が僕が学んだことです
細かなものを入れるともっとありますが
この三つは自己啓発の本などにもよく書いてあります
しかし本で読んで知っているのと修行の中で教えてもらうのとでは理解のしやすさや腑に落ちやすさも段違いでした、まさしく二つ目の教えです
この学びを大切にしていこうと思います
そういえば堂内を案内してもらっている時に「護美箱」と書かれた箱が置いてありました
美しさを護る箱、うまいこと書くなぁと感動
だから日本語って好き
「誰かを想うっていい感じ 言葉にするっていい感じ」
あいうえおんがく / GReeeeN
最後まで読んでいただきありがとうございます

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