最期と向き合う 2019.1.17

今日は阪神淡路大震災から24年
当時10歳で小学5年生だった僕の記憶はもうハッキリとは覚えていません
断片的な映像と、こんなこと感じてたなぁという感覚
うちの家族はありがたいことに親戚含め、誰一人欠けることなく震災を乗り越えることができました
追悼番組などを見ていると、それがいかに奇跡的で、側にいてくれることが当たり前では無いのだと感じさせられます
うちは震災のちょうど3ヶ月前に引越しをしていたのですが、これが無ければきっと家族の誰かは今いなかったかもしれません

報道では亡くなった人の数がどうしてもピックアップされますが、その何十倍、何百倍の人の数が大切な人を失うという”生き残った側”にいます
悲しみの中を生き抜いた何十万人、もしかすると何百万人の人生こそが、語り継ぐべきモノなのかなと考えたりします
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幼稚園の頃だったと思いますが、しきにり
「なんでおじいちゃんおばあちゃんになったら、人は死ぬの?」と怖くて夜寝れなかった記憶が今でもあります
「死」が幼い頃めちゃくちゃ怖かったんですね
なんでそんなに怖がっていたのかはもう覚えていませんが(笑)
大人になって死が怖いか?と言われると、よくわかりません
ただ死ぬことを一度、真面目に考えていくと
反対の「生きる」に繋がりました
強い光が濃い影を生むように
引っ張ったぶん、前に飛んでいく輪ゴムのように
一方を強く思うと、その反対にあるものも強く浮き出てきます
どんな風に死にたいのか?
どんな最期を迎えたいのか?
そこに向き合う
すると
そのために
「どんな人生を歩むのか?」
「どんな風に生きればいいのか?」
そこが少し見えやすくなるように思います
僕は多くの人と繋がり、「またな」と笑いながら最期を迎えたいなと思いました
だから今、自分が笑えることをする
周りが笑顔になることをしていく
あなたはどんな最期を迎えたいですか?
最後まで読んでいただきありがとうございます

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